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31、 法華寺跡からの出土瓦 発掘現場近くに積み上げられていた瓦片 10世紀頃の瓦があり、創建時期が想定されている その他に中国青磁・高麗青磁・雲龍文軒平瓦・ 雲鳳文軒丸瓦の組み合わせが確認された |
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32、 缸坡頭里抗蒙遺跡地 北済州郡涯月邑古城里 元・高麗連合軍に対抗し国を守るため決起した 高麗最後の抗蒙勢力である三別抄が最後まで 抗争し壮烈な戦死を遂げた遺跡地で、 「抗蒙殉義碑」を中心にした慰霊地 1231年に始まるモンゴル軍の侵攻は、 花華島に移った高麗政権に対し執拗に繰り返され、 1259年その軍門に降ったが、 政府は出陸せず抵抗した |
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33、 三別抄奮戦を描いた絵画や遺物の展示館 しかし1270年に出陸を余儀なくされ、ついに屈服した その後精鋭部隊であった三別抄は、花華島・珍島 そして最後にこの地にたてこもり抵抗したが、元・高麗連合軍の猛攻により1273年玉砕した |
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34、 缸坡頭城復元模型 - 国立済州博物館展示 これによって日本侵攻が容易になり、翌1274年 文永の役が起きている この城は内城と外城からなる二重の城で、内城は 石を積み上げた石城で外城は土塁で現在もその 形態が残っている |
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35、 缸坡頭城跡-土塁 これは外城の土塁で周囲15里、約5,9qある 官衙や軍事施設を持った要塞であった |
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36、 涯月里烽火台 北済州郡涯月邑涯月里 中・近世の通信施設。38ケ所あったが現在は 9ケ所が残っている。李朝時に完成 |
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37、 涯月里烽火台上より陸側漢拏山を望む 規模は6m角くらいの大きさで高さは約4m 梯子で上がれるように1ケ所積み残している |
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38、 涯月里烽火台上より海側を望む |
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39、 済州牧官衙復元鳥瞰図 朝鮮時代、済州地方の政治の中心地であった すでに、耽羅国時代から星主庁などの主要官衙 施設があった所であると推定されている |
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40、 復元官衙正門 済州市三徒2洞 1991年から1998年まで4回発掘調査がされた この済州牧官衙の復元は1999年9月に始め 2002年12月に完成した |