済州島遺跡探訪の旅・4


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法華寺跡からの出土瓦
発掘現場近くに積み上げられていた瓦片
10世紀頃の瓦があり、創建時期が想定されている
その他に中国青磁・高麗青磁・雲龍文軒平瓦・
雲鳳文軒丸瓦の組み合わせが確認された
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缸坡頭里抗蒙遺跡地
北済州郡涯月邑古城里
元・高麗連合軍に対抗し国を守るため決起した
高麗最後の抗蒙勢力である三別抄が最後まで
抗争し壮烈な戦死を遂げた遺跡地で、
「抗蒙殉義碑」を中心にした慰霊地

1231年に始まるモンゴル軍の侵攻は、
花華島に移った
高麗政権に対し執拗に繰り返され、
1259年その軍門に
降ったが、
政府は出陸せず抵抗した

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三別抄奮戦を描いた絵画や遺物の展示館
しかし1270年に出陸を余儀なくされ、ついに屈服した
その後精鋭部隊であった三別抄は、花華島・珍島
そして最後にこの地にたてこもり抵抗したが、元・高麗連合軍の猛攻により1273年玉砕した
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缸坡頭城復元模型 - 国立済州博物館展示
これによって日本侵攻が容易になり、翌1274年
文永の役が起きている
この城は内城と外城からなる二重の城で、内城は
石を積み上げた石城で外城は土塁で現在もその
形態が残っている
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缸坡頭城跡-土塁
これは外城の土塁で周囲15里、約5,9qある
官衙や軍事施設を持った要塞であった
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涯月里烽火台
北済州郡涯月邑涯月
中・近世の通信施設。38ケ所あったが現在は
9ケ所が残っている。李朝時に完成
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涯月里烽火台上より陸側漢拏山を望む
規模は6m角くらいの大きさで高さは約4m

梯子で上がれるように1ケ所積み残している
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涯月里烽火台上より海側を望む
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済州牧官衙復元鳥瞰図
朝鮮時代、済州地方の政治の中心地であった
すでに、耽羅国時代から星主庁などの主要官衙
施設があった所であると推定されている
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復元官衙正門
済州市三徒2洞
1991年から1998年まで4回発掘調査がされた
この済州牧官衙の復元は1999年9月に始め
2002年12月に完成した



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