済州島遺跡探訪の旅・2

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北村里岩陰(先史住居址)遺跡
生活するには充分な広さと高さがある

天井岩と奥壁の岩との間に僅かな隙間があり、
貝類が
幾つか散らばっていた。
神棚のように使っていたのだろうか?
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龍潭洞月星遺跡の発掘状況説明板
済州市龍潭洞
無文土器(青銅器)時代から初期鉄器(原三国)時代
の住居遺跡。中心時期はBC5〜4世紀頃と推定
磨製石器と竪穴式住居が出現する
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龍潭洞月星遺跡の復元建物
平面長方形住居跡は745px500p,深さ25p
面積37,3uの大型であり、基本的には四柱式で
周りに補助の柱穴があり柱穴の配置が明確
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光令里支石墓全景
北済州郡涯月邑光令里
無文土器(青銅器)時代末から初期鉄器(原三国)時代
のBC1世紀頃。韓半島支石墓の中心時期は無文
土器時代中期代で、済州島は少し遅れて登場する
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光令里支石墓 支石部分 
支石墓はおよそ海抜100m以下の海岸部に分布する
島内には150基余りの支石墓があると言われている
が、これまで19遺跡 63基が確認されている
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吾羅洞支石墓全景
済州市吾羅洞
その多くは韓半島西南部地方と同形式の、いわゆる
南方式あるいは碁盤型に属する
現地では済州島経由北部九州と説明されているが
北部九州には韓半島から直接来たものと思われる
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三陽洞遺跡 復元模型 - 国立済州博物館展示
無文土器時代から原三国時代に跨る代表的・大規模
な拠点的集落遺跡。  「後漢書」東夷伝の韓の条に
見える「州湖国」の国都の遺跡かも知れない
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三陽洞遺跡 発掘時全景-済州の歴史と文化より-
済州市三陽洞
1997年から3年間の緊急発掘。海抜20m付近に
立地。東西1,2〜1,5q、南北0,5〜0,6q、およそ
10万uの範囲に広がる
その内13,000u程が史跡に指定されている
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三陽洞遺跡建設現場 
現在史跡施設として復元工事が進められている
竪穴式住居跡236軒、掘立柱建物跡28棟の遺跡群
と、石列・貝塚・土器・石器・鉄器など多種多量の遺物
が検出された。近辺には支石墓群も確認されている
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三陽洞遺跡出土の土器-済州の歴史と文化より-
これらは三陽洞式土器と呼ばれ、無文土器時代の
終末期から初期鉄器時代にかけて、韓半島南部の
粘土帯土器の流入と共に変容し、在地色の強い土器
として成立する。口縁が直行もしくは緩やかに外反し
胴部があまり張らない甕形土器が基本で、胴部中位
から緩やかにすぼまる壷や小形の鉢形土器等からなる



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