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11、 北村里岩陰(先史住居址)遺跡 生活するには充分な広さと高さがある 天井岩と奥壁の岩との間に僅かな隙間があり、 貝類が幾つか散らばっていた。 神棚のように使っていたのだろうか? |
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12、 龍潭洞月星遺跡の発掘状況説明板 済州市龍潭洞 無文土器(青銅器)時代から初期鉄器(原三国)時代 の住居遺跡。中心時期はBC5〜4世紀頃と推定 磨製石器と竪穴式住居が出現する |
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13、 龍潭洞月星遺跡の復元建物 平面長方形住居跡は745px500p,深さ25p 面積37,3uの大型であり、基本的には四柱式で 周りに補助の柱穴があり柱穴の配置が明確 |
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14、 光令里支石墓全景 北済州郡涯月邑光令里 無文土器(青銅器)時代末から初期鉄器(原三国)時代 のBC1世紀頃。韓半島支石墓の中心時期は無文 土器時代中期代で、済州島は少し遅れて登場する |
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15、 光令里支石墓 支石部分 支石墓はおよそ海抜100m以下の海岸部に分布する 島内には150基余りの支石墓があると言われている が、これまで19遺跡 63基が確認されている |
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16、 吾羅洞支石墓全景 済州市吾羅洞 その多くは韓半島西南部地方と同形式の、いわゆる 南方式あるいは碁盤型に属する 現地では済州島経由北部九州と説明されているが 北部九州には韓半島から直接来たものと思われる |
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17、 三陽洞遺跡 復元模型 - 国立済州博物館展示 無文土器時代から原三国時代に跨る代表的・大規模 な拠点的集落遺跡。 「後漢書」東夷伝の韓の条に 見える「州湖国」の国都の遺跡かも知れない |
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18、 三陽洞遺跡 発掘時全景-済州の歴史と文化より- 済州市三陽洞 1997年から3年間の緊急発掘。海抜20m付近に 立地。東西1,2〜1,5q、南北0,5〜0,6q、およそ 10万uの範囲に広がる その内13,000u程が史跡に指定されている |
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19、 三陽洞遺跡建設現場 現在史跡施設として復元工事が進められている 竪穴式住居跡236軒、掘立柱建物跡28棟の遺跡群 と、石列・貝塚・土器・石器・鉄器など多種多量の遺物 が検出された。近辺には支石墓群も確認されている |
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20、 三陽洞遺跡出土の土器-済州の歴史と文化より- これらは三陽洞式土器と呼ばれ、無文土器時代の 終末期から初期鉄器時代にかけて、韓半島南部の 粘土帯土器の流入と共に変容し、在地色の強い土器 として成立する。口縁が直行もしくは緩やかに外反し 胴部があまり張らない甕形土器が基本で、胴部中位 から緩やかにすぼまる壷や小形の鉢形土器等からなる |