鉄器副葬品からみた古墳時代中期の一考察

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そう考えると収奪するか、或いは貢納させるシステムが無ければ無理かと思われる。

倭王権がどの範囲の部族か不明だがとに角、部族的統一体の代表者に位置するとすれば各

部族からの貢納があったと考えられる。さらに 当時大和の王権はすでに租税として徴収

するシステム”を持っていたと考えられるか? 3世紀の邪馬台国の例から考えれば政治的

成熟度が未熟だと言っても“租税”のシステムがあったとしても可笑しくは無いと考えら

れる。その見返りとして各部族は倭王権に何を期待したのだろうか?

“鉄製品”や“装飾品”などは魅力的なものであったことは容易に想像できる。

 

巨大な古墳群を造営し続けるにも、膨大な人力が必要とされただろう。また当時、半島で

の戦闘に多くの兵士を送っていたことも事実であろう。この兵士たちは大和の人間だった

か?あるいは連合した勢力の、または征服した地域の人々だったのか? 

征服された事実があったとすれば、各地の墳墓から多くの鉄製品や装飾品が出土するとい

うことは、その古墳の被葬者は元もとの地元の人物ではなく、征服に功があった人物か、

協力した人物と考えざるを得ない。6世紀以前に既にその様な現象があったのだろうか?

その様な現象を証明するような画期・墳形や規模、副葬品の違いが地域毎に見出されるか?

 

何れにせよ半島との取引であり、海を渡ってやり取りする訳だから、まず運搬する方法が

問題となる。重量の重い品物だとか(例えば鉄製品・コメ等の穀物)、或いは量が嵩む品物

(例えば武具・馬)だと、ある程度大きな船が必要とされ、その航海術や取引にも高度な

ものが要求される。その意味でも専門の航海士集団(海部)や交易人が介在したものと思

われる。はたして“鉄”はどの位の価格だったのだろう。

 

6章 途轍もなく多量な鉄器副葬の意味を考える

 

 これら途轍もなく多量な鉄器副葬されている古墳は、古墳時代を通じて最も巨大な

古墳群として連続的に築造された時期にあたる。副葬品の意味を問題とする前に、何故

この時期これらの場所に巨大な古墳を築造する必要があったのかが問われなくてはなら

ない。それが同時に途轍もなく多量な鉄器副葬の意味をも示しているのだろう。

4章で述べた背景が全てを語っているように思う。即ち大和王権は、既に倭内においてある

程度の範囲で政治力を確立し、中国王朝に対しても朝鮮半島諸国に対しても倭国の代表者

としての立場は認められていたが、しかし未だ天下は大和・河内・和泉にいる倭国王を

筆頭とする連合勢力のものにはなっていなかったのだ

巨大な古墳を築造しなければならない理由がその当時あった。それこそがその後の歴史の

展開に大きく関わってくる出来事だし、“”がその後、中国王朝と断絶していくことも

わが国の国内体制が確立されていく端緒となる。全て関連した出来事と理解する。

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