鉄器副葬品からみた古墳時代中期の一考察

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大和王権から取得するグル−プがある他、大和王権とは別の地域王権が幾つかあって、

その近辺の首長は其処からも取得していたのか?或いは全く個々に取得していたのか?

しかし、この問題に対し自分なりの考え方を持たないとテーマの適正な考察は出来ない。

古墳時代中期、大和・河内・和泉に巨大な古墳が出現し、そこに途轍もなく多量な鉄器が

副葬される。暫く続くがそれらもやがて終わり、古墳のあり方も変わる。

 

結論から述べれば、私は大和王権から取得するグル−プがある他、大和王権とは別の地域

王権が幾つかあって、その近辺の首長は其処からも取得していたと考えて考察を進めたい。

その根拠は、その当時大和王権が鉄素材の独占的獲得権を得ていたという確実な証拠が見

出せない、と言うより対高句麗・新羅戦、百済援助、伽耶の利権確保のために半島に派兵

した兵士は、大和王権からだけでなく連合した勢力からもあると考えられ、そうした勢力

も取得権利を有していたと考えられること、また大和を中心とした地域に巨大古墳を造営

していた丁度その時期に、吉備にもそれに劣らない巨大な古墳が造営されているという

事実があること、またその時期農業生産力や手工業生産力が向上し、経済的に豊かに

なった首長達が各地に存在し、さらに優位にたつために鉄製武器・武具・農工具を買い

求め、或いは地元で製作し、地域の中でより一層の勢力を確立し、その結果古墳築造を

果たしたと考えられるからであり、先進的な技術を持った渡来人が大和以外にも各地に住

みついている痕跡があるということ等々である。

例えば岡山県総社市「窪木薬師遺跡」の13号住居址人は400年前後に朝鮮半島から渡来

した鍛冶師と考えられ、鉄?や鍛冶具が出土している。九州地域も同様で福間割畑遺跡

1号墳から鉄?11と鍛冶工具類が出土している。半島における戦乱や混乱により、高い

技術力を持った半島の人々が倭の各地に住みついた事は、これらの遺跡・遺物から想像

出来るし、それらの人々が大和周辺地域だけに住みつくという考え方は都合が良すぎる。

さらに“途轍もなく多量な鉄器が副葬されていた”時期を含め、大和を中心にした地域の

鉄製品出土量と、その他の地域の鉄製品出土量の総量において、どれ程の相違があるだろ

うか?大和王権がその他の地域の鉄製品をも、その支配下に置くための代償として限られ

た時間内に供給することは、独占的獲得権を例え持っていたとしても出来る事ではない。

特に武器・武具・馬具に関しては、戦いのために無くてはならぬ物であり、配布するには

相当の信頼関係が各地の被葬者との間に醸成されていることが不可欠であり、各地の被葬

者間にどの様な敵対関係があり、大和の王権はどちらに組みするのか、破れた勢力は墳墓

=古墳を造れないのか?しかし、そう考えるには古墳の数が多過ぎる。

全国的に同時期、程度の差はあるものの武器・武具類が必ずと言っていいくらい古墳に

副葬されており、さらにそれら武器類の発達過程が見られることからも、日常的な対立・

抗争が地域内外であったと想像できる。鉄製武器・武具類は単なる明器ではないだろう。

 

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