鉄器副葬品からみた古墳時代中期の一考察

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角板鋲留・横矧板鋲留)・頸甲・金銅製胡?金具・刀剣・鉄鏃・金銅製鞍金具・鞍橋・

木心鉄板被輪鐙・馬鐸・ホ具・金銅製帯金具・鉄斧・鉄鎌が出土している。

豊前・径約22mの円墳「稲童21号墳」の竪穴系横口式石室から鏡・玉類・鉄刀・鉄剣・

金銅製三輪玉・横矧板鋲留眉庇付冑・角板鋲留短甲・横矧板鋲留短甲・頸鎧・小札(草

摺)・馬具(三環鈴を含む)・鉄製農耕具・鉄鏃があり、武器・武具が豊富である。

 

大和・河内・和泉以外の6〜7期の古墳では、摂津「南天平塚古墳」20mの円墳は、

「大石塚古墳」・「小石塚古墳」等の前方後円墳の他、「大塚古墳」・「北天平塚古墳」などの

円墳とともに桜塚古墳群を形成していた。「大石塚古墳」や「小石塚古墳」の埋葬施設は

未調査の為不明である。前記した6期の「北天平塚古墳」は、古墳の規模に比べ甲冑類の

副葬が豊富であったが、この「南天平塚古墳」にも直葬した2基の刳抜式木棺があり、

「1号棺」内に六獣鏡・鉄刀・鉄剣・鉄鏃・短甲・環鈴が、「2号棺」内からは方格規矩鏡・

鉄刀・鉄剣・鉄鏃・留衝角付冑・短甲が、棺の西部外方には・木製鞍・杏葉などの馬具

1組が、北部外方に槍・弓を置き、棺蓋の上には革盾をのせていた。両古墳とも被葬者は

武人的な人物と思えるが、古墳群内の未調査の前方後円墳の副葬品に興味を持つ。

摂津30mの円墳「土保山古墳」の内部構造は、竪穴式石室と石室に平行して築かれた

粘土槨であるが、粘土槨内には人体埋葬の痕跡がなく武器埋納用施設と考えられる。

石室の木棺内からは乳文鏡・ガラス製小玉500数十・櫛23・直弧文のある把頭1・横矧板

鋲留短甲1が、木棺外からは盾・3・長頸柳葉式鉄鏃2束(12030本)・横矧板鋲

留短甲1・?1・?又は刀子1・櫛35不明鉄製品が、粘土槨の木棺内からは、鉄鏃100

数十・靫4・弓衝角付冑1・小札縅肩甲2対・小札縅草摺2対・鉄鎌1が出土している。

丹後・径30mの円墳「ニゴレ古墳」の直葬された割竹形木棺の棺内から角板革綴短甲・

竪矧細板革綴衝角付冑・頸甲・肩甲・鉄刀1・鉄鏃10が出土した。

紀伊・「大谷古墳」・全長70mの前方後円墳、後円部の組合石棺内外から素文小鏡13

碧玉製管玉18・ガラス製勾玉21・ガラス製玉1万個以上・滑石製玉230・金銀製垂飾付耳

飾り5鉄刀6・鉄剣2・鉄鉾5・鉄鏃多数・鉄鍬8・鉄鎌10余・鉄手斧15・鉄?10余・

鉄刀子5・鉄鑿18・衝角付冑1横矧板鋲留短甲1・?甲小札多数・馬冑1・馬甲1・鞍1

2対・鏡板1・杏葉3・雲珠2・辻金具4・ホ具3・馬鈴4・面繋付金具12・四葉形金具

50余・?帯金具7などが出土している。この石棺の石材は阿蘇凝灰岩といわれ、その環状

縄掛突起も九州の石棺の製法を引き継ぎ、また馬具の内馬面冑はわが国唯一の出土品であ

り、その技術的系譜は朝鮮半島の伽耶地方に求められている。大谷古墳のある紀ノ川北岸

は、この時期の伽耶系陶質土器を出した六十谷・楠見遺跡や大倉庫群、陶質土器を出した

鳴滝遺跡などが知られ、南岸には岩橋千塚古墳群がある。この古墳群は5世紀後半以降に

特異な横穴式石室墳を造営している。これらは紀伊の初期古墳文化が伽耶地方と九州北部

との深い関わりの中で成立した事を示すものである。『大谷古墳』 1959

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