鉄器副葬品からみた古墳時代中期の一考察

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刳鑿形鉄製品1・鑿形鉄製品1・長刀子1・鉄鉾1・鉄槍3・鉄鏃110・漆塗革製盾2・巴形

銅器3、西槨からは銅鏡1・滑石製大型勾玉1(頸飾り玉)・碧玉製管玉40(同)・硬玉製

勾玉2(手玉)・同棗玉3(同)・碧玉製管玉46(同)・同管玉2(腰部の玉)・革綴短甲1

三角板革綴衝角付冑1・肩鎧1・頸鎧1の他、鉄刀3・鉄剣4・鉄鏃110・銅鏃1が出土。

中央槨は割竹形木棺で東槨・西槨は箱形木棺と考えられている。

因みに中央槨出土の半円方格帯四神四獣鏡は景初三年銘である。

 

佐紀盾列古墳群・古市古墳群等においても、鉄器の多量副葬はこれら倭王の前の時代にも

見られる。それは佐紀盾列古墳群中、3期〜4期の径48mの独立大型円墳「マエ塚古墳」

では盗掘を蒙りながらも?製鏡9の他、鉄剣119・鉄刀24・鉄斧9・鉄鎌10・鉄鍬9

刀子2・不明鉄製品8が出土、4期の全長120mの前方後方墳「猫塚古墳」の粘土

割竹形木棺)からは、鉄刀8・鉄剣または鉄槍先22・石釧21以上が出土している。

3期初頭馬見古墳群中最初に築造された前方後方墳・全長137m「新山古墳」からは、

三角縁神獣鏡9面を含む計34面の青銅鏡・ 碧玉製管玉20・鍬形石1・石釧9・車輪石5

筒型石製品5・椅子形石製品1鏃形石製品7・刀子柄形石製品1・円形有孔石製品2

滑石製斧形石製品1・勾玉127の他、鉄刀16・鉄剣16・刀子40・金銅装帯金具24が出土

していると伝えられている。しかし同じ馬見古墳群中、4期「佐味田宝塚古墳」・墳長111m

の前方後円墳から、三角縁神獣鏡15面(内3面は破片)を含む28面の鏡・硬玉製勾玉3

滑石製勾玉10・不明勾玉5・碧玉製管玉48・滑石製管玉15・碧玉製石釧1・同鍬形石1

盒子1滑石製刀子形品34・同件形品2・同鎌形品2・同鑿形品1・同斧形品1・同有孔

円板1・同紡錘車2・銅鏃27前後・巴形銅器2が出土したと言うが鉄器の副葬は無い

 

2章 途轍もなく多量な鉄器を副葬する古墳 (特記なき限り[ 4]より)

 

5期以降になると、これらの古墳群内の大王墓と思われる古墳の付近に、単独墳にせよ

陪塚にせよ、途轍もなく多量な鉄器を副葬する古墳が現れてくる

 

大和・佐紀盾列古墳群を構成する、5期・全長70mの前方後円墳「塩塚古墳」の後円部

中央の著しく損壊されていた粘土槨内から、鉄剣3・刀子1・蕨手刀子4・鉄斧15・鉄鎌9

が出土している。

6期・全長260mの巨大前方後円墳「ウワナベ古墳」の陪塚である、径25mの円墳

「大和6号古墳」の墳丘中央の人体埋葬の痕跡のない副葬品槨と推定される粘土槨から

大小の鉄?872枚(大型282枚、小型590枚・重量換算で約140s)が棺に直交ないしは

平行して縦横に並べられ134・鍬139・鉄斧102・鉄鏃9・刀子284という多量の鉄製

農工具と武器が出土している。また鎌6・斧1の石製模造品も伴出している。

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