写真 |
コメント |
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1、
博多埠頭東2タ−ミナル |
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2、
ジェットホイ−ル・ヴィーナス2号にて
博多〜壱岐〜対馬間を各々1時間で結ぶ。 |
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3、
対馬・厳原港入り口付近
対馬の地形は全体的に南の下県が高く、
上県が低い。
最高峰の矢立山(648m)は下県の南部に位置し、その他500mを越える山々が連なる。
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4、
佐賀貝塚遺跡(縄文後期)
長崎県上県郡峰町大字佐賀所在
断崖の多い海岸地形の僅かな平地、砂地にある。今はこの山裾の駐車場の下に埋もれている。
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5、
佐賀貝塚遺跡(縄文後期)
標識立柱のみ所在地を示している。
阿高式(縄文中期)、鐘崎式(後期前葉)、
北久根山式(後期中葉)、韓国東南部「水佳里式」等の土器出土
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6、
志多留貝塚遺跡(縄文後期〜弥生前期・中期)
上県郡上県町志多留字 茂所在
山の間の砂州に形成、標高0〜1mの平坦地に
立地
第2・3層から板付T・U式、城ノ越式、
須玖T式器
第4層から鐘崎式(後期前葉)、
北久根山式(後期中葉)
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7、
大将軍山古墳(でいじょうぐやまこふん)石棺
上県郡上県町志多留字向平所在
き鳳鏡1面、半島系土器、管玉等が出土。
朝鮮半島との深い関わりがありそう
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8、
越高遺跡
上県郡上県町越高所在
現在は山の傾斜地になっている。地表下約2mの包含層から縄文早・前期の土器7点、韓国新石器時代の土器(隆起文土器)2461点が出土
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9、
金石城跡・再建された大手櫓門
宗家21代義真が寛文9年(1669年)城郭を改修櫓を築いて「金石城」と称した。天守閣はない。
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10、
朝鮮通信使幕府接遇の地 碑
慶長12年(1607年)から文化8年
(1811年)
迄の間に12回の来日があった。
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11、
曽根古墳群位置図案内板
下県郡美津島町鶏知字子ソ所在
対馬東海岸に位置する古墳群で、前方後円墳3基、
円墳2基からなる。
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12、
曽根第一号墳・石室側壁の石
西側の尾根の最も高い場所に位置する。
墳長約30mの前方後円墳、後円部径14,5m、高さ2,5m、前方部長12,3m、幅5,5m。
5世紀代の古墳
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13、
曽根第二号墳
全面に浜石を積んだ前方後円墳。前方部、後円部に石室がある。墳長35,6m、後円部径16m、高さ3,5m、前方部長16m、幅9m。
6世紀後半代の古墳
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14、
金田城(かねたのき)跡・案内板
下県郡美津島町大字黒瀬字城山所在
対馬を南北に分かつ浅茅湾の南岸で、
東を黒瀬湾に西を箕方湾に囲まれた南北・
東西約2qの半島に
位置し、湾内を一望できる。包谷式山城、
全長2,8q
白村江の敗戦後、天智6年(667年)築造
『日本書紀』。
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15
金田城跡・三ノ城戸
城戸とは、城山山系にある金田城に登る
登山口を言う。
谷間には水門を設け、城門を構えた遺構あ、これが一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸である。
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16、
対馬藩お舟江跡
対馬藩の御用船を繋留した船溜まり。
「お舟屋」とも言う。
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17、
鬼の窟古墳・入口部
長崎県壱岐郡芦辺町所在
直径45m、高さ13mの規模をもつ長崎県最大級の
円墳。
典型的な横穴式石室構造で、3つの室からなる。
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18、
鬼の窟古墳・石室内
入口から奥壁まで16m、1番奥の玄室は
広さ3m四方、
天井の高さ3,5m。6世紀から7世紀にかけての
築造か?
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19、
双六古墳(ソウロク・スゴロクこふん)全景
壱岐郡勝本町立石東触字双六所在
壱岐島のほぼ中央、標高110mの丘陵頂部に
位置する。
墳長約89,5m、後円部径39m、高さ9,75m、
前方部長50m、幅38m、高さ4mを測る
前方後円墳。
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20、
双六古墳・石室内
横穴石室で、玄室と前室からなる複室構造。
全長約11m、
玄室の法量は3,3x2,6m、高さ4,2mを測る。
出土遺物;鉄製短刀・青銅製圭頭大刀柄頭・
金銅製環頭
単鳳大刀柄頭・金銅製飾金具・馬具飾金具・
新羅土器他。
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21、
大塚山古墳全景
壱岐郡芦辺町深江栄触字清水所在
島のほぼ中央部、深江田原の北側の標高
約74mの山頂上に位置する。径約14m、高さ約2mの円墳。5世紀後半か?
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22、
大塚山古墳・入口部
竪穴式から横穴式への移行期の
竪穴系横口石室
壱岐では最古。
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23、
大塚山古墳・石室内
復元された石室。全長約3,9m、
玄室は長さ2,27m、
奥壁幅1,18m、高さ1,4mとされている。
玄武岩の板石を小口積みにし、
ゆるく持ち送りしている。
出土遺物;小型はそう須恵器、
鉄製蕨手刀子。
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24、
原ノ辻遺跡調査事務所・展示館全景
壱岐郡芦辺町深江鶴亀触所在
原ノ辻遺跡は、芦辺町と石田町に跨る
丘陵を中心に
広がる大規模環濠集落で「魏志倭人伝」
に記載された
「一支国」の王都と考えられる。
その遺跡群の発掘・研究・展示の
拠点施設です。
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25、
原ノ辻遺跡調査事務所・遺物収蔵庫
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26、
船着場跡模型
展示館入り口左側にある。
弥生時代の川の中に造られており、
2本の突堤と荷揚げ場、それに「コ」の
字形に囲まれたドック部分と通路から
なっている。
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27、
原ノ辻遺跡発掘現場
三重の環濠で囲まれた東西約350m、
南北約750mで広さは約24ha、旧石器時代
から中世までの複合遺跡であるが、
主体は弥生時代である。
弥生時代中期〜後期(紀元前2世紀〜
紀元3世紀)
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28、
原ノ辻遺跡発掘風景
シートで被っているのは乾燥するのを
防ぐため。
粘土質で乾燥すると掘れなくなるらしい。
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29、
石田町の発掘風景
環濠が出土していた。
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30、
対馬塚古墳全景
墳長約66mの前方後円墳(未発掘)。勝本町所在
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31、
カラカミ遺跡
壱岐郡勝本町立石東触字カラカミ・川久保・
国柳所在
弥生時代中期〜後期の集落遺跡。
刈田院川を見下ろす標高約80mの高台に
ある。V字溝、U字溝に区切られた、貝塚・墓地・住居址が検出された。鉄器豊富。
原ノ辻遺跡と共に「一支国」を構成する主要遺跡
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32、
名切遺跡遠望
縄文中期〜晩期の遺跡。対岸山側。
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33、
鎌ケ崎遺跡遠望
縄文後期の遺跡。未調査のまま公園に
なっている。
郷ノ浦港の目前にある。
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34、
壱岐・郷ノ浦港
対馬発のジェットホイ−ルが寄航、
1時間で博多港に着く。
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35、
壱岐島遠望
最高峰の岳の辻でも標高213mに過ぎず、
全体になだらかな地形の島である。
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