対馬・壱岐遺跡探訪の旅・写真

 対馬と壱岐は九州と朝鮮半島の間に位置し、古来より大陸文化の中継地点とし

て重要な役割を果たしてきました。しかし、対馬と壱岐とはその地理的位置に

よって文化の面でも大きく異なっています。『魏志』東夷伝・倭人の条にも見られる

ように対馬は山地が多く、一方壱岐はなだらかな平野をもつ島であります。

対馬島は朝鮮半島から約50q、壱岐島から約48qを隔て、南北72q

東西16qで南北に長い島であり上下2島に分かれます。北の下島は面積約

435平方q、南方の上島は面積247平方qで、2島の90%が山地です。

壱岐島は松浦半島から約20q、糸島半島から約33qを隔て、東西約15q

南北約17q、面積約138平方qの本島と26余りの付属島からなります。

両島とも行政的には長崎県に属します。


写真 コメント
1、

博多埠頭東2タ−ミナル
2、

ジェットホイ−ル・ヴィーナス2号にて
博多〜壱岐〜対馬間を各々1時間で結ぶ。
3、

対馬・厳原港入り口付近
対馬の地形は全体的に南の下県が高く、
上県が低い。

最高峰の矢立山(648m)は下県の南部に位置し、その他500mを越える山々が連なる。


4、

佐賀貝塚遺跡(縄文後期)
長崎県上県郡峰町大字佐賀所在
断崖の多い海岸地形の僅かな平地、砂地にある。今はこの山裾の駐車場の下に埋もれている。

5、

佐賀貝塚遺跡(縄文後期)
標識立柱のみ所在地を示している。
阿高式(縄文中期)、鐘崎式(後期前葉)、
北久根山式(後期中葉)、韓国東南部「水佳里式」等の土器出土

6、

志多留貝塚遺跡(縄文後期〜弥生前期・中期)
上県郡上県町志多留字 茂所在

山の間の砂州に形成、標高0〜1mの平坦地に
立地

2・3層から板付T・U式、城ノ越式、
須玖T式器

4層から鐘崎式(後期前葉)、
北久根山式(後期中葉)

7、

大将軍山古墳(でいじょうぐやまこふん)石棺
上県郡上県町志多留字向平所在
き鳳鏡1面、半島系土器、管玉等が出土。
朝鮮半島との深い関わりがありそう

8、

越高遺跡
上県郡上県町越高所在
現在は山の傾斜地になっている。地表下約2mの包含層から縄文早・前期の土器7点、韓国新石器時代の土器(隆起文土器)2461点が出土

9、

金石城跡・再建された大手櫓門
宗家21代義真が寛文9年(1669年)城郭を改修櫓を築いて「金石城」と称した。天守閣はない。

10、

朝鮮通信使幕府接遇の地 碑
慶長12年(1607年)から文化8年
1811年)
迄の間に12回の来日があった。

11、

曽根古墳群位置図案内板
下県郡美津島町鶏知字子ソ所在
対馬東海岸に位置する古墳群で、前方後円墳3基、
円墳2基からなる。

12、

曽根第一号墳・石室側壁の石
西側の尾根の最も高い場所に位置する。
墳長約30mの前方後円墳、後円部径14,5m、高さ2,5m、前方部長12,3m、幅5,5m
5世紀代の古墳

13、

曽根第二号墳
全面に浜石を積んだ前方後円墳。前方部、後円部に石室がある。墳長35,6m、後円部径16m、高さ3,5m前方部長16m、幅9m
6世紀後半代の古墳

14、

金田城(かねたのき)跡・案内板
下県郡美津島町大字黒瀬字城山所在
対馬を南北に分かつ浅茅湾の南岸で、
東を黒瀬湾に
西を箕方湾に囲まれた南北・
東西約
2qの半島に
位置し、湾内を一望できる。包谷式山城、
全長
2,8q
白村江の敗戦後、天智6年(667年)築造 
『日本書紀』。

 

15

金田城跡・三ノ城戸
城戸とは、城山山系にある金田城に登る
登山口を言う。

谷間には水門を設け、城門を構えた遺構あ、これが一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸である。

16、

対馬藩お舟江跡
対馬藩の御用船を繋留した船溜まり。
「お舟屋」とも言う。

17、

鬼の窟古墳・入口部
長崎県壱岐郡芦辺町所在
直径45m、高さ13mの規模をもつ長崎県最大級の
円墳。

典型的な横穴式石室構造で、3つの室からなる。

18、

鬼の窟古墳・石室内
入口から奥壁まで16m、1番奥の玄室は
広さ3m四方、

天井の高さ3,5m。6世紀から7世紀にかけての
築造か?

19、

双六古墳(ソウロク・スゴロクこふん)全景
壱岐郡勝本町立石東触字双六所在

壱岐島のほぼ中央、標高110mの丘陵頂部
位置する。

墳長約89,5m、後円部径39m、高さ9,75m
前方部長
50m、幅38m、高さ4mを測る
前方後円墳。

20、

双六古墳・石室内
横穴石室で、玄室と前室からなる複室構造。
全長約11m

玄室の法量は3,3x2,6m、高さ4,2mを測る。
出土遺物;鉄製短刀・青銅製圭頭大刀柄頭・
金銅製環頭

単鳳大刀柄頭・金銅製飾金具・馬具飾金具・
新羅土器他。

21、

大塚山古墳全景
壱岐郡芦辺町深江栄触字清水所在
島のほぼ中央部、深江田原の北側の標高
74mの山頂上
に位置する。径約14m、高さ約2mの円墳。5世紀後半か?

22、

大塚山古墳・入口部
竪穴式から横穴式への移行期の
竪穴系横口石室

壱岐では最古。

23、

大塚山古墳・石室内
復元された石室。全長約3,9m
玄室は長さ
2,27m
奥壁幅1,18m、高さ1,4mとされている。
玄武岩の板石を小口積みにし、
ゆるく持ち送りしている。

出土遺物;小型はそう須恵器、
鉄製蕨手刀子。

24、

原ノ辻遺跡調査事務所・展示館全景
壱岐郡芦辺町深江鶴亀触所在   
原ノ辻遺跡は、芦辺町と石田町に跨る
丘陵を中心に

広がる大規模環濠集落で「魏志倭人伝」
に記載された

「一支国」の王都と考えられる。
その遺跡群の発掘・研究・展示の
拠点施設です。

25、

原ノ辻遺跡調査事務所・遺物収蔵庫

26、

船着場跡模型
展示館入り口左側にある。
弥生時代の川の中に造られており、
2本の突堤と
荷揚げ場、それに「コ」の
字形に囲まれたドック
部分と通路から
なっている。

27、

原ノ辻遺跡発掘現場
三重の環濠で囲まれた東西約350m
南北約
750mで広さは約24ha、旧石器時代
から中世までの複合
遺跡であるが、
主体は弥生時代である。

弥生時代中期〜後期(紀元前2世紀〜
紀元3世紀)

28、

原ノ辻遺跡発掘風景
シートで被っているのは乾燥するのを
防ぐため。

粘土質で乾燥すると掘れなくなるらしい。

29、

石田町の発掘風景
環濠が出土していた。

30、

対馬塚古墳全景
墳長約66mの前方後円墳(未発掘)。勝本町所在


31、
カラカミ遺跡
壱岐郡勝本町立石東触字カラカミ・川久保・
国柳所在

弥生時代中期〜後期の集落遺跡。
刈田院川を見下ろす
標高約80mの高台に
ある。V字溝、U字溝に区切ら
れた、貝塚・墓地・住居址が検出された。鉄器豊富。
原ノ辻遺跡と共に「一支国」を構成する主要遺跡
32、

名切遺跡遠望
縄文中期〜晩期の遺跡。対岸山側。

33、

鎌ケ崎遺跡遠望
縄文後期の遺跡。未調査のまま公園に
なっている。

郷ノ浦港の目前にある。

 

34、

壱岐・郷ノ浦港
対馬発のジェットホイ−ルが寄航、
1時間で
博多港に着く。

35、

壱岐島遠望
最高峰の岳の辻でも標高213mに過ぎず、
全体に
なだらかな地形の島である。


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