地域文化財研究  リポ−ト                                             2001/07/20

地域文化財の将来〜そのあるべき姿       

                                                    CB130003   倉本 卿介

 

はじめに

 地域文化財と言う時の地域とはどの範囲を指すのか良く分かりませんが、一応広島県域を想定し考えてみたいと思います。

本論に入る前に文化財とは如何なるものか?その文化財を保護する制度は?又文化財の保存と保存運動と言ったことの基本的な認識を持った上で、地域文化財の将来についてその一面の有るべき姿を考えたいと思います。

 

1)文化財とは

「文化財」と言う言葉の定義ですが、「財」と言う言葉は本来「たから」とか「金」とか「すべての有価物」とかを意味する経済的用語ですが、昭和14〜5年頃当時の国家総動員令下でよく使われた「生産物」と言う物質的な言葉に対して、精神的な意味で「文化財」と言う言葉が生まれたと言われております。英語の「Cultural Propertys」の訳と思われ、当初は「国宝」や「重要文化財」に重点が置かれていたのに対し、国宝に入っていなかった「史跡」や「名勝」・「天然記念物」等を勘案した言葉として誕生し、その後「無形文化財」と言う概念も入ってきました。内容としては……

美術工芸品・建造物・伝統的建造物群・歴史的風土・書籍・典籍・古文書・考古資料・歴史資料・史跡・名勝・天然記念物・埋蔵文化財・無形文化財(芸能・工芸技術)・有形、無形の民族文化財等があります。

 

2)文化財保護制度について

基本的な法令としては、明治4年の「古都旧物保存方」の太政官布告から始まって種の法・制度が加えられましたがそれらに無形文化財・民族資料・埋蔵文化財の保護を対象に加え、昭和25年8月に施行された「文化財保護法」があります。地方公共団体については「文化財保護法」98条に基づいて文化財の保護に関する条例を制定する事が出来るとされており、その条例を定めることにより各々の地方公共団体は文化財保護の基本としています。文化財保護と直接関係のあるその他の法律としては、重要美術品に関する旧「重要美術品ノ保存ニ関スル法律」、美術刀剣類等および古式銃砲に関する「銃砲刀剣類所持等取締法」、埋蔵文化財のうち動産物件の出土に関する取り扱いについての「遺失物法」、伝統的建造物群保存地区の保護に関する「都市計画法」、歴史的風土の保存に関する「古都保存法」、文化財所有者等に対する優遇措置に関する「租税特別措置法」。「地方税法」等があります。

3)文化財保存と保存運動について

文化財保護法の目的は文化財を保存し、かつその活用を図り以って国民の文化的向上に資すると共に、世界文化の進歩に貢献することとなっており、内容としては保存と活用があります。保存とは従来我々の祖先が護り伝えてきたものを私たちの代で亡ぼすことのないよう、十分の配慮を持って維持管理することであり、活用とはそれらのものをただ収蔵放置するのみでなく保存に支障のない手法を持って、現代の国民に公開する等の措置を講じ、その有する価値を新しい文化の創造、文化的向上のために発揮させることです。

しかし、文化財は国民全体にとっても貴重な財産ですが、その多くは私有物であり所有権その他の財産権の対象となっているため、それらの中には文化財としての価値以外の他の有用性、効用を持つものもあります。従って文化財保護法はこの様な私的な財産権も可能な限り尊重しつつ、一方私権の無制限な発動を押さえ文化財としての価値の保全等も行なおうとするものであり、文化財保護の推進は行政主体者である国・地方公共団体・文化財の所有者である個人・文化財の保護によって利益を享受すべき国民全体が協力し合ってこれに当たらないと、その成果を期待することは出来ません。

しかし、各種開発の進展の中にあって関係者の十分な協力が得られず、次々と破壊され消滅する状況に対し当初は保存に対し一部の有識者、研究者の「資料保存」の請願運動でしたが、徐々に運動の主体が研究者よりはむしろ住民の側に移って大きく発展してきました。

特に歴史的風土・埋蔵文化財は、私権・公権の経済的理由等からの「開発」に対し、緊急調査と言った形で専門家が加わり(時には行政自身の手により)、結局は破壊・消滅と言う図式があり専門家がうまく利用された形での結末も多くありました。

「開発」は文化財の破壊と同時に緑を奪い自然を破壊しあまたの公害を発生させ、住民の生活と生命に直接関わる重大な問題として認識される様になった結果、住民による保存運動が大きく展開する様になりました。

 

4)本論 (地域文化財の将来〜そのあるべき姿)

広島県文化財の昭和54年(1979年)と平成12年(2000年)の21年間の変化について概観すると(別表参照)、まず建造物の重要文化財は国が12件・県が17件 、美術工芸品の重要文化財については国が8件・県が84件と増加しています。その他昭和54年には国の無形文化財・無形民族文化財・有形民族文化財であったものが、平成12年には各々増加した上で重要文化財に格上げされており、史跡は9件(登録番号では更に14件)、又新しい分類では、国の重要伝統的建造物群2件・登録35件・記録・選択で10件と言ったところが目立ちます。登録・記録・選択と言う文化財の位置づけに付いてはよく分かりません。県では無形民族文化財が19件・史跡27件(登録番号では更に10件)・天然記念物が32件(登録番号では更に12件)各々増加しております。少なくとも毎年の様に増加の傾向にあります。

ここで特筆すべき事は、平成8年原爆ド−ムが世界遺産に登録されるのを受けて平成7年

に国の史跡に指定されたことです。史跡の指定増加はその後の調査・発掘の増加が原因と思われ、無形文化財の増加は各地の伝統芸能の継承努力が認められたことと思われます。有形文化財の増加を考えますと、歴史資料にしても古文書にしても同じ事が言えますが時代の変化によって、もはや実用性を失い役に立たないものになってしまい、一人一人では持ち切れないものとか、特にお役所仕事での書類・資料は期限がきたら廃棄されてしまう事が多いですが、その反面非常によく伝世されて残っているものが多いと感じます。その材料から言えば硬質なものは少なく木とか紙が多い上気候が湿潤、こういう条件では建築ばかりでなく美術品・歴史資料等も大切に伝世しなくては残らないと思いますが、それがよく残っていると感心します。文化財が滅びるのは社会秩序の崩壊とか価値観の大きな変革・戦乱による破壊、そう言ったものは我が国・地域も多々経験しておりますが、それらの徹底性や永続性が薄かったと言う事が日本的特性でもあり、遺存の多さに関係しているのだと思います。

伝世品は国家の保護の下に残っている正倉院などもありますが、主体は社寺を含め個人の元に残されたもの、蔵の奥に仕舞われものが残されていると言った特徴が認められます。外国からの侵略が第2次世界大戦を除いて無かったと言う事も、文化財の遺存度に大きく影響していると思います。こと広島市に関しては、原爆の惨禍に会った事が文化的にも大きな打撃を受け今日に至っています。

 文化財の破壊・消滅回避と言う観点から、それらに関係した研究者や特に地方公共団体は正確な情報を発する事により、又地元マスコミは信念を持ってそのものの持つ価値を広く県民に認識させ、地域住民自身が将来を含めて残してゆかねばならぬと言う意識を高揚させる事が肝要であると思います。ことに将来財政的に苦しくなる事が予想されるだけに、文化財の調査・指定・保存・修復・維持と言った文化財行政は益々国民の理解と支持が必要となります。

地域文化財に対する将来のあるべき姿に導くためには、まず県民に広く地域文化財に対する興味や認識を、身近な自分達の地域の歴史を通じて浸透を図る事が大切だと思います。

特に広島県民の県民性かも知りませんが物質的な面には関心が有る様ですが、精神的な文化面については意外と無関心な傾向に有る様ですから更なる努力が望まれます。

 地域文化財として原爆ド−ムだけでなく唯一の被爆国・最初の被爆地として、残された貴重な原爆資料に対して更なる認識を高め、それらを文化財に格上げさせる等の運動を通して、県民・市民が世界の人々に平和を語りかける様努力させる事が、これからの広島県の文化財の役割であり、あるべき姿と思います。

                                                                           以上

 

 

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