カンボジア・アンコ−ル遺跡探訪の旅
NO.3

写   真 コ メ ン ト
43、

アンコ−ル・ワット/ 第三回廊にて

若い物静かな僧侶たちに出会った

彼らの僧衣の色は実に美しい

44、

伝統舞踊ショウ

ディナ−ショウ見物

45、

伝統舞踊ショウメンバ−と

厚かましくも終演後記念撮影
旅のメンバ−と共に

46、

バンテアイ・スレイ/ 参道

アンコ−ル・ワットの北東40qの所        
バンテアイ・スレイとは「女の砦」の意。
967年建築。バンテアイ・スレイ様式
リージェントラヴァルマン2

47、

バンテアイ・スレイ/ 第一境内

堀がめぐらされており、堀の水は境内の
静けさをひとしお増している。
バンテアイ・スレイの全景

48、

バンテアイ・スレイ/ 中心境内
北経蔵東切妻壁 「インドラ神の慈雨」

クリシュナ神の伝説に取材した一場面。
三匹の神象アイラヴァ−タに乗った
インドラ神が、乾季の終りを告げて慈雨
を万物に恵む図。

49、

バンテアイ・スレイ/ 中心境内

高さ90pの砂岩の基壇に3つの祠堂が
建つ。各祠堂の前には猿や獅子等の頭を
持った人間の坐像が一対ずつ入り口を
守っている。ヒンドゥ−教信仰

50、

バンテアイ・スレイ/ 北祠堂のレリ−フ
四隅の壁龕内のデヴァ−タ(女神)の立像

世界屈指の美術品として知られ、「東洋のモナリザ」
とも称されている

51、

スラ・スラン/ 「沐浴の池」

バンテアイ・クディの前にある。

52、

スラ・スラン/ 水中に延びる階段

12世紀後半。ジャヤヴァルマン7
とその王妃のためにつくられた聖池。
東西約700m、南北300mの人工湖。
バイヨン様式。大乗仏教信仰

53、

バンテアイ・クディ/ 東塔門

スラ・スランに面してある。
12世紀後半、ジャヤヴァルマン7世に
よってヒンドゥ−寺院を仏教寺院に改築

54、
バンテアイ・クディ/ 東テラス


バンテアイ・クディとは「僧坊の砦」の意。
僧侶の学問の場だったと推測されている

55、

バンテアイ・クディ/ 回廊中庭のレリ−フ

東西700m、南北500mの広大な敷地。
砂岩の質が悪く、屋根は殆ど崩落している

56、

プリヤ・カ−ン/ 西外門前の参道

道路から約150m、幅9mの参道両側には、
50p角、高さ2mの石柱96基が並ぶ


57、

プリヤ・カ−ン/ 西内門

1191年、ジャヤヴァルマン7世が戦勝を
祈念し、父親ダラ−ニンドラヴァルマン2世王
の菩提寺として建てた仏教寺院。バイヨン様式

58、

プリヤ・カ−ン/ 回廊内

展示されていた各部ディテ−ルの図面。
修復工事のために書かれたものか。

59、

プリヤ・カ−ン/ デヴァ−タ−のレリ−フ

プリヤ・カ−ンとは「聖なる剣」の意。
石碑文によれば、往時院内には10万人位の
人々が住んでいたと言う


60、

プノン・バケン/ 急な登坂道

高さ75mのバケン山上にある寺院。
ヤショ−ヴァルマン1世による9世紀末期、
この地域最初の都ヤショ−ダラプラの中心地。
第一アンコ−ル時代

61、

プノン・バケン/ 山頂の寺院

山頂の5層からなるピラミッド型寺院

62、

プノン・バケン/ 南東方向を望む

南東約1q、アンコ−ル・ワットが見える


63、

プノン・バケン/ 西方を望む

西方に西バライの湖が拡がる。
西バライはウダヤ−ディチャヴァルマン2世が11世紀
中頃造った東西8q、南北2,2qの大人造湖
ここから見る夕日は美しく観光名所と言う


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