平成12年度前期「日本考古学研究 T」レポ−ト               

              ヒッタイト帝国時代の人工鉄     2000/08/26

〜私たちはどのようにして鉄を作っていたか〜

                                     CB 120003  倉本卿介

1,プロロ−グ

   アナトリア高原,現在のトルコ共和国,アラジャホユックの博物館,

ヒッタイト帝国時代の遺物を展示しているガラスケ−スの中に,4

〜5点の卵大の金属滓があった。その傍には「デミ−ル・ジュルフ」

(鉄滓) BC17世紀と記入された小さな白いカ−ドが添えてあっ

た。ボアズキョイから出土したキズワトナ文書に,楔形文字で書か

れていた「ヒッタイト帝国の鉄」の存在が遺構・遺物の出土で実証

されたのである。

 

2,鍛治師

私は後世の人達が,紀元前17世紀と呼んでいるヒッタイト帝国の

都市アリンナ(現在名 アラジャホユック)に住んでいる。

ここアリンナで製鉄に従事している鍛冶師の一人である。

当時の都・ ハットゥシャ(現在名 ボアズキョイ)はここから南西

 約40Kmの距離にある。 

かく言う私は,元々ヒッタイト人ではない。今から300年位前に

移住してきた印欧語族のヒッタイト系人より以前にこの地に住んで

いたハッティ人と呼ばれていた子孫である。私たちの祖先は,ここ

アリンナで既に700~800年前から鉄の存在を知り(但し最初は隕鉄を

鍛造したものであったが,いつの日か),鉄を作り出す技術を取得し

高い文化を持つ一つの王国を成していた。が,印欧語族のルウイ人に

侵略されて王国は破壊され,焦土と化した。その後ヒッタイト人達

がこの地にやって来てルウイ人を追い払い,私たちを吸収した。 

製鉄の技術を持っていた私たちの祖先の一部の集団は,ここアリン 

ナに閉塞され「鉄の生産」に従事させられていた。 ヒッタイト人

同様に遇されてはいるが,他の地には出て行く事は禁止されている。

(但しカマン・カレホユツクには一部の仲間が移住させられている)

以後,彼等は滅亡する迄「鉄の製法」は極秘として守り,独占し続

けたのである。

 

3,アリンナの鉄

20世紀と呼ばれる時代に,ここアラジャホユック(アリンナ)で

発見された製鉄遺構と遺物は,直径約1m位の円型の炉跡であり,

その床面から大量の鉄滓が見つかっていると言う。

実は,それは私達の仕事場の跡の一部なのである。

秘密を守り通したアリンナは自然の要塞,即ちタウルス山脈とクズ   

ルウルマックに守られており,その上この地域は季節風を利用し得

る地形・豊富な燃料・鉄鉱石と製鉄を行うには適した場所だった。

ここアリンナでの製鉄の仕事は,年中いつでも良いと言う訳ではな

い。炉の中で鉄鉱石を鉄の状態にするには,鞴による風の力だけで

は出来ないのである。

又,使用する大量の炭も夏に伐採した薪を秋迄には小屋一杯にさせ

ておく必要があった。そして10月から11月又は春にかけて定期

的に北西から吹いてくる季節風の力を利用して鉄を得ていた。

後世の人はその製法を低温還元製鉄法と言い,出来た鉄を海綿鉄あ

るいは,固体鉄又は錬鉄塊と呼んでいるらしい。

その鉄塊の近くに小さな塊が多数あったが,堅すぎて役にたたず私

達はそれをpigと言って捨てていた。炭素を多く含む銑鉄だったら

しい。

 

4,製鉄の方法

特に春はアリンナのエヘシュタと呼ばれる堅牢な建物の中の炉前で

王や祭司による厳粛な儀式が行われた後,私達鍛冶師によって製鉄

の仕事が始まる。ヒッタイト帝国にとってそれ程鉄は重要なもので

あった。

屋外の場合は北西に向く斜面地を利用して小さな炉を築き,年2度

の季節風の時期に製鉄を行うことの方が多いが,ここエヘシュタは

特別規模が大きく,又火に強い日干しレンガ造りの建物で北西に向く

壁の面に風を取り入れる開口部が2ケ所有り,そこからレンガ積み

の風洞が建物中央の炉に細くなりながら向かい、繋がっている。

その他に所謂鞴も設けられている。

炉は粘土造りで内径1mの円形を成し高さは約1.6m上にいくほど狭

まっている。炉の内側の床は堀窪められていて粘土で固められてい

る。深さは約0.6mである。炉の周りも幾分堀下げられている。

鉄を作る時は,まず堀窪められた床の部分に乾燥した小枝を束にし

て積み地面から上には炭・鉄鉱石・炭と何重にも積みあげる。 

そして下から火を付け風洞・鞴から風を送り込み3日間燃やし続け

,炉の中の鉄鉱石が下がると炭・鉄鉱石・炭と上から何回か入れ続

ける。熱が下がった頃粘土の筒を壊すと窪みに錬鉄の塊が出来ていて

その下には鉄滓が溜まっている。私達はこの様にして鉄を作る。

炉工房としてこの様に規模が大きいのはここだけで,例外である。

国としての祭りに属するからである。先に記した屋外での製鉄が一

般的であるが,それは直径15cm位の穴の円形製鉄炉(ボ−ル炉

で製法は同様であるが規模が小さく後世遺構として,中々発見し難

にくいのである。

 

5,エピロ−グ

   私達が作った鉄は全て王のものであり,命令に従って短剣・鉄板

   等を鍛造加工していた。鉄の価格は金の5倍,銀の40倍もし大変

   貴重品で,隣国の王達への贈り物として利用されていたと思う。

   一部武器や道具等にも使い戦争に有利な時もあったが,総じて少量

   で高価なものであり鉄製品として一般化はしなかった。

                                                         以上

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